15年の成長
神様は今もなお力強くロシアで、特に「フェイス・イン・アクション」が位置している極東ロシアにおいて働いておられます。ニュースがないときに、私たち
は何も起こっていないかのように考えてしまいがちですが、自然界でそうであるように、成長とは常に起こっていることなのです。今日、皆様の祈りと犠牲の贈
り物に直接関わりのある成長について、私は報告したいと思います。
アレクセイ牧師とスヴェータ夫人は、フェイス・イン・アクションの最初の時期から関わり続けていますが、1997年に師の教会は訓練センターとしての重要
な責任を負うことになりました。二つの大きな画期的な出来事がありました。それは、今私たちの教会とフェイス・イン・アクションが入っているビルを購入し
たこと(このビルは以前は軍のビルでした)、そして、フェイス・イン・アクションが裁判所に訴えられたことです(許可なく宗教を教えているという理由で
す)。このことによって私たちの中に起こった変化として、聖書学校は、アレクセイ師の教会に加入した訓練センターへと区分が変更となり、師とロシア人クリ
スチャンたちによるフェイス・イン・アクションのビジョンのために、所有権は明瞭なものとされました。
私が1993年に最初にアレクセイ師に会った時、「生ける神の教会」は、ほとんど信徒のいない村の小さなペンテコステ系の祈りの家でした。彼は若く、前任
の老牧師が召されてアレクセイ師が牧師となったばかりでした。アレクセイ師はその小さな教会についてのビジョンしか持っていませんでした。
1993
年、当時日本で奉仕していたアメリカ人宣教師、ジョン師は主に従い、妻と4人の子どもをつれて「収穫を助けるために」1年間ロシアに移りました。ジョン師
は村々で伝道を始め、家の教会を形成させ、地域に五つ六つと家の教会ができた時点で、ロシア人牧師にそれらを渡し、お世話させました。アレクセイ師はそれ
らの村のグループの幾つかについての責任を引き受け、彼のビジョンは直ちに数倍にも拡大しました。もはやひとつの教会だけではなくて、複数の教会によるグ
ループが共につなぎ合わされたのです。
フェイス・イン・アクションが始まった時、より多くの村々へと、学生たちが伝道のために夏に遣わされました。複数の教会が設立され、もちろんフェイス・イ
ン・アクションの卒業生たちによって、現在それらの教会の多くが牧会されています。今や彼らはプリモルスキイ地方、また周りにあるすべての村、町、市に出
ていっています。
昨年の9月、「生ける神の教会」は、神に仕えて15周年となることを祝いました。このグループは今や60以上の教会を擁しています。それらのうちのいくつ
かはまだ小さい教会ですが、いくつかの教会には200名以上の信徒がいます。小さな家の教会から始まったものですが、現在、イエス様を見出し礼拝する数千
人ものロシア人がそこにいるのです。
私たちは、忠実な成果の上に立つアレクセイ牧師と彼の教会を祝福し、彼らの将来の成長のために祈ります。
- 子供たちへの新しいビジョン
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現在アレクセイ牧師と彼の教会のチームは、プリモルスキイ地方の1000人の子どもたちが家族を見つけることを手助けするビジョンを持ち、ウラジヴォス
トックで子どもたちのためのリハビリテーション・センターを始めたいと考えています。孤児院にいる子どもたち、またアルコール中毒、薬物中毒などの状態に
ある親たちにほったらかしにされた子どもたちが、彼らのビジョンに含まれています。彼らは既に、大人のためのリハビリテーション・センターを六つ組織して
おり、ロシア社会でもっとも顧みられていない人々の間で大きなミニストリーをしています。彼らの教会の二つの家族は、孤児院からそれぞれ10人以上の子ど
もたちを引き取っており、彼らの中で生活させています。それらのうちのひとつの家族が子どもたちを世話することのできる場所で、フェイス・イン・アクショ
ンの学生たちは、家の建設を手伝い続けてきたところです。
宗教的自由の減耗
ペレストロイカ後の1990年代初頭、ロシアでは福音を妨害されずに語る自由がありましたが、主にロシア正教会の圧力によって、そのような自由が減少し
てきています。近いうちに通りで説教し、証しをすることが違法とされること、また伝道が教会の塀の内側に押し込められるということを、私は聞いてきまし
た。ロシアの普通の人々にイエス様の救いを運ぶための革新的な方法を、ロシアのクリスチャンたちが見出すことができるように、お祈りください。
ディマ
多くの人々がディマについて、また彼のニュージーランドでの学びの計画について質問してきました。以前の彼の医学的状態のために、ディマには査証発行の
件で一連の問題がありました。年内にニュージーランドに来るべく、彼は今なお査証の再申請をする予定でいます。これまでに彼の航空券とその他の費用のため
の財源を送ってくださった人々に、お礼申し上げます。
2007年10月の学生たち
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「フェイス・イン・アクション」の学生たち
フェイス・イン・アクションには、どんな時でも常に約20名の学生がいます。授業は2月と9月に始まるので、1年間、二つの学期で学びをし、学期の間に伝道実習をする二つのクラスが、重なり合っている状態です。
学生たちは多くの異なった家庭状況、背景からやって来ます。短い証しでは語り尽くせないほどの悲劇的な物語がたくさんありますが、しかしそれらひとつひと
つは、神の贖いが勝利したことの記録です。ロシア社会の闇において、イエス様のゆえに輝く彼らを見ることは、私たちがなし得る祈りと財政的貢献による投資
に値することなのです。
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- ウヤチェスラフ・U
多くの人々は、全てを失ったとき、つまり家を失ったとき、社会的階梯の最下層に落ちてしまったときに、神様のことだけを考え始めます。それが私に起こっ
たことでした。私は職を失い、家を失い、家族を失い、無になりました。しかし神様は、イエス様のことを私に話す人々を備えておられました。私はレソザ
ヴォーツクにあるリハビリテーション・センターに行きました。私がそこを終えた時、フェイス・イン・アクションで学ぶことを勧められました。主に感謝しま
す。
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- ロマン・S
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私は26歳ですが、かつては世の方法に生きており、虐げられ、放任状態でした。母は私のために長い間祈っていましたが、主は彼女の祈りに答えてくださいま
した。主は私を罪と悪しき習慣から解放し、ご自身のところへと導いてくださいました。主は私に新しい命を与えてくださったので、私は主をお喜ばせし、栄光
をお返しするために生きることができます。主は私にフェイス・イン・アクションで訓練を受ける機会を与えてくださっていますが、それは素晴らしいもので
す。
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マリア・Z
私の人生にかつてあった様々な問題はとても大きなものだったので、私は何をすべきか分からないほどでした。私は己の強さによって問題に挑戦しましたが、
結果は空しいものでした。職を失い、娘との関係は破壊され、そして神様だけが私を助けることがおできになることを、私は理解しました。私はクリスマス礼拝
のお知らせを見たので、隣人と共にクリスマスの日曜日に礼拝に行きました。私たちは主を心に受け入れ、罪赦されたことを知りました。主が私の避けどころ、
また力となってくださいました。隣人と私は人生の中に奇蹟を経験し始めました。私は完全にいやされ、祈りの後に高給の職を得ました。私の態度と人間関係は
修復され、私は他の人々にも関心を持つようになりました。それが私が神の言葉を学ぶために聖書学校に来た理由であり、そうすることで私は救い主を知らない
人々と神の言葉を分かち合うことができるのです。 |
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ヴィタリイ・V
私の母はクリスチャンで、私が子どもの頃、彼女はいつも日曜礼拝に私を行かせていました。私たちが引っ越しをした時、教会に行くのは不可能になってしま
いました。成長するにつれ、私は世の生活様式を知り、その魅力は私を捕らえました。幼い頃に心の中に蒔かれた種は、最後には死んでしまいました。私の人生
は、一時空っぽでした。神様の無い私は、霊的に死んだ状態でした。次第に私は神様に向かって叫び始め、神様は私に耳を傾け、私を回復させてくださいまし
た。今私は、神様だけが私の希望であるがゆえに、神様に栄光をお捧げします。 |
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マリア・T
2年前、私の女友だちが私を教会の青年会に招いてくれました。その時私は家族の問題を抱えていましたが、神様は私の人生の中に来てくださいました。神様
は私の感情的傷をいやしてくださり、困難に打ち勝つ力を与えてくださいました。私のための犠牲のゆえに、イエス様に感謝します。地上の私の友人の中でそれ
ができた人は、誰もいません。イエス様は私の人生のための計画を示し続けておられ、家族、両親との関係を修復してくださっています。一日一日、イエス様は
私に、私の知らない人々をさえも赦し、愛することを教えてくださいます。私は主を愛し、主の御旨を私の人生の中に為していきたいと願います。 |
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ウラジミール・A
私は30歳ですが、13年前にこの世で最も大きな問題、麻薬が私を急き立てていました。5年の間、私は薬物依存状態でした。私の人生は地獄に向かってお
り、何年間もの間、刑務所に入っていました。そこで新約聖書が私の手にやって来たのですが、それを読む中に、私は人生と幸せについての意味を理解し始めま
した。釈放された時、私は主を心の中に受け入れ、洗礼を受け、自分の人生を完全に主の御手の中にお捧げしています。 |
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アレクサンダー・K
自分の命のもろさについて理解し、助かる可能性が全くないことを知った時、私は手を伸ばしてイエス様を受け入れました。全ての事柄を覚えているのは難し
いことですが、ひとつ私が知っていることは、主が私をご自分の下へと呼び寄せ、罪を赦し、救い、愛してくださっていることです。その時、主は私を結核から
完全にいやしてくださいました。今や私は自分の人生を完全に主にお委ねしています。主は私に、愛と親切をもって主の言葉を世界に運び、分かち合うことを私
の人生の目的として示しておられます。 |
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アレクサンダー・M
私は28歳で、親なしで育ちました。人生は私の願ったようには行かず、何度も私は人生をやり直そうと試みましたが、しかし常に同じ結論に戻ってしまうの
でした。私は不正確にも、人生とは決して勝つことの出来ないゲームであると考えていました。私は自分の人生の意味を全て失い、自殺を考え始めました。しか
しその段階で、神様は私を救ってくださったのです。私はあるクリスチャンに出会ったのですが、その人は神様は私たちひとりひとりのことを知っておられ、罰
することを望んでおられないということを話してくれました。私はレソザヴォーツクにあるリハビリテーション・センターに行き、そこで主を心の中に受け入れ
ました。主は私を自由にし、新しい命を与えてくださいました。私は今その教会で讃美リーダーをしています。私が必要の中にあった時、誰も私を助けることは
できませんでしたが、神様が私を助けてくださいました。イエス様に栄光がありますように。 |
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セルゲイ・K
私は今2年生ですが、伝道実習のためにアムール地域にある教会のクリスチャン・キャンプに出掛け、そこを2ヶ月間お手伝いしました。自己の罪の性質と格
闘する中で、私はまた、自己に死ぬことを日々学びました。子どもたちと大人たちの両方に、日々父なる神様の愛をもって奉仕する中で、主は私に多くの新しい
ことを示してくださいました。そのキャンプには、ノン・クリスチャンの子どもたちもいました。主は私を通して働いてくださり、私はイエス様について彼らに
話すことができました。そのうち二人が罪を悔い改め、告白し、主を受け入れ、今教会につながっています。神様に仕えるこのような偉大な機会を得たことを、
神様に感謝します。 |
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ウラジミール・A
私もまた2年生ですが、私は実習の期間をバラノヴォ・オレンブルグスコエで過ごし、そこのリハビリテーション・センターで働きました。多くの時間を祈り
と集会に費やし、またポグラニチヌィにある教会堂の建設を手伝いました。それらの素晴らしい経験のゆえに、天のお父様に感謝します。 |
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アナスタシヤ・D
私も同じく2年生ですが、私は実習のためにボイコエ村に行き、そこにある教会を手伝いました。私たちは朝の時間の多くを祈りに費やし、私は子どもたちの集会を手伝うことができました。わが救い主に栄光がありますように! |
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エレーナ・T
私は人生で大きなものを失う経験をしました。数年前、私のとても愛していた兄弟が死にました。私の人生の中で彼はとても大きな部分を占めており、彼の死
後、私は常に毎晩泣いていました。私は自分の人生の意味という感覚を失い始めました。その時イエス様が、静かに私の心のドアをノックしてくださいました。
私はバラノヴォ・オレンブルグスコエの教会のオルガ牧師に出会い、彼女は私の導き手になってくれました。私はイエス様を心に受け入れ、イエス様は私に新し
い命を与え、私の傷ついた心をいやしてくださいました。 |
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ルスラン・L
私は2年生ですが、実習伝道の時、私はナホトカ近郊のユジノ・モルスコイに行きました。私の牧師、ヴァレロィ師と共に私たちは刑務所に行き、神様の言葉
を囚人たちに説きました。日曜日には諸教会で礼拝しましたが、私が育った村に戻り、古い友人たち、共に育ったかつての少年たちに証しをする特別な機会が一
度ありました。 |
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