今学期7人の生徒が卒業式を迎えました。彼らは(今回は全員男性でしたが)ロシアの極東地域の村や町の教会で主に仕えています。
ー「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」ー
去年の12月、私が聖書学校に到着する1日前に、スタスは癌のため57歳で召されました。彼は私のよき友人の一人でした。彼はその人生の半分を刑務所で過
ごし、そこから救われて聖書学校に入学しました。彼は最後の刑務所生活の中で栄養失調のために体を壊し、その弱ったからだと戦わなければなりませんでした
が、その中でイエスさまと出会い、人生に新しい目的を見つけたのです。彼の証しをもう一度載せました。
スタスは7年前聖書学校在学中にジナと出会い、卒業後彼女と結婚しました。考えてみるとこの12年間の間にたくさんの生徒たちが結婚しましたが、私が出席
できたのは、彼らの結婚式だけでした。ジナはスタスの世話を善くし、栄養状態にも気を配りながら、二人はすばらしい伝道ともてなしのミニストリーをしてき
ました。スタスは一時路面電車の車掌もしており、乗客に停留所ごとに福音を語っていました。彼は刑務所伝道にもかかわっており、また特に受刑者の家族への
ミニストリーもおこなっていました。私が到着して数日後に聖書学校と教会の間の野外で簡素な葬儀が行われました。生徒たちとリハビリセンターの幾人かの男
性が雪をどけて道を作りました。スタスの遺体は蓋のない棺に納められ木の台の上に置かれていました。防寒着に身を包んだ30人ほどの人々が集まり、神様が
ロシアの犯罪の世界、監獄から救い出し恵みの王冠をかぶせてくださったスタスの人生に敬意を払わずにはいられませんでした。
葬儀から数週間後に、ジナは軽い脳卒中の副作用と思われる症状に苦しめられました。言葉や動作に症状が出ていましたが、彼女は病院に行こうとしませんでし
た。それから数日後彼女の家の暖炉がオーバーヒートして火事になり、家の壁と屋根を焼いてしまいました。いっぺんに彼女の所へ災難が襲い掛かったようでし
たが、それでも彼女は主を見上げて賛美し祈り続けています。どうぞ彼女のことを覚えてお祈りください。
- スヴェータから報告
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月には学生たちが企画していくつかの伝道の集会を行いました。最後の週に教会の若者たちと神学生たちも加わって村々に伝道に行きました。彼らは「薬物廃
止」を掲げて2つの伝道コンサートを開きました。カメンリボルブ村では400〜500の若者が集まり、ザリコボ村では200〜300の人々が集まりまし
た。集まったすべての人に福音が語られたのです。彼らはその経験を通して大変励まされました。
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また神学生たちはステコリシコブの家と呼ばれている孤児院でもミニストリーをしています。
21人の神学生の内、何人かユニークな生徒たちがいます。彼らはみな体に障害をもっており、ひとりは片足がなく、もう一人は両足をなくしました。3人目は両手がありませんが、彼は生徒の中で成績が一番よいです。彼らはみなとても優秀な生徒です。
残念なことにこの中の一人はアウトリーチ中になくなりましたが、彼の死をとおして彼のお父さんが永遠の命について考え始めたということです。
またもう一人、卒業生のK. ニコライ兄はボポクロバカ村で牧師をしていましたが、ある集会に行く途中行方不明になったという知らせを聞きました。彼の行方を捜しましたが、見つけることが出来ないので、彼は亡くなったと思われます。
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27年間の鉄格子生活からーハハハスタスの証し
看守はスタスを狭い監房に押し込みドアを乱暴に閉めました。その監房には、死刑執行のときを待っている囚人がもう一いました。スタスが腰をおろすと、その
男はひざまずき誰かに向かって話し始めました。スタスが何をしているのかと訊ねると、祈っているのだとその男は答えました。死刑囚監房でスタスはその男
に、祈りとはただ単純に全能の神に向かって語りかけることだと教えられました。翌日、その男は監房から出され死刑が執行されました。スタスの初めての祈り
についての学びはとても短く終わってしまいました。 |
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スタスは刑務所に何度も出入りし、合計で17年ほどを刑務所で過ごしていました。今回は妻を襲った4人の男のうち2人を殺害した罪で捕らえられ、すでに死
刑に値する刑を受けようとしていました。しばらくして弁護士のおかげて刑が15年服役に軽減され、彼は死刑囚監房から普通の刑務所に移され、やがてそのセ
クションの受刑者を監督するところまでになりました。彼はたいへん屈強な男だったので、皆彼の言うことを聞きました。その後ロシアではペレストロイカの時
代になり、彼の刑は10年に減軽されました。
そんなある日クリスチャンのグループがその刑務所にやってきました。何もほかにすることもなかったので、彼はその集会に
出席してみることにしました。
キリスト教については以前にも聞いたことがありましたが、その日彼らが語っていた神の愛とイエス.キリストを通して与えられる罪の赦しのことは、心に残り
ました。スタスは頑固な性格で感情に左右されるような人ではありませんでしたが、彼の中で何かが少しずつ変わり始め、自分が今までしてきた罪について自覚
するようになりました。
彼は死刑囚監房で死期を待っていた男に教えられたとおりに、単純な悔い改めの祈りをし、イエス様を自分の人生に招き入れました。
それ以来スタスはまったく生まれ変わりました。他の受刑者達が彼の変わりようを信じられないくらいでした。彼らはスタスが聖書を読んでいるのを見てからかい、又時にはもっとひどいことをしてばかにしました。しかしスタスは少しずつその信仰が成長していきました。
その刑務所にいた数人のクリスチャン達には暗く寒い廊下以外には共に祈る場所がありませんでした。ある時、彼らは空いた部屋を見つけて看守に祈りと聖書の学びのために使用することを頼んでみましたが、許してくれませんでした。
しかし、スタスとクリスチャン達は神さまの声を聞き逃しませんでした。ある日政府の役人が刑務所を検閲しに来ました。その時聖霊がクリスチャン達に、庭に
出て雪の中ひざまずいて祈るようにと語りました。政府の役人はそれに気づき看守に訊ねましたが、看守は彼らは問題を起こす者達だと答えました。それにもか
かわらず政府の役人は雪の中でひざまずいている彼らのところへいき、何をしているのかと訊ねました。祈っているのだと彼らが答えると、何のために祈ってい
るのかと訊ねました。スタスが祈りと聖書の学びのために刑務所内に部屋が与えられるように祈っていると答えました。
政府の役人は看守に彼らに部屋を与えるようにと命じ、しかも確かにそれが実行されたかどうか報告するようにと申し渡したのです。
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神は彼らの祈りに答えてくださいました。それからスタスは1998年に釈放されるまで6年間その刑務所にいるクリスチャン達の牧師となったのです。
刑を終えて外の世界に出て、その代わり様にスタスは驚かされることになりました。家に帰ってみると妻も子供もすでにそこには居らず、近所の人々も彼を恐れ
て近寄りませんでした。しかし、次第に彼が生まれ変わったことが人々にもわかるようになりました。彼はもはや、暴力的で2人を殺した男ではなくなっていま
した。50歳になった彼は静かなやさしい霊の持ち主となったのです。彼の顔を見るとそれまでのタフな人生を想像できますが、彼の目は喜びと主に対する愛で
満ち溢れています。
1998
年12月に刑務所ミニストリーをしている人々のための集まりがありました。FIA神学校からはスタスとゼンヤが集会に参加し、極東ロシア地域の刑務所で神
様がなされている業を聞いて二人は大変励まされました。集会には45人ほどの人が集まっていましたが、ほとんどの人が刑務所でイエス様を受け入れた人でし
た。彼らが刑務所で過ごした時間を全部合計すると300年以上になります。そのように長い時間彼らは悪魔に仕えてきましたが、今はみな神様に仕え、まだ刑
務所にいる人々にイエスさまの愛を伝えたいと熱心になっています。
「ですから、もし子があなたがたを自由にするなら、あなたがたはほんとうに自由なのです。」ヨハネ8:36
- ディマ兄の近況
12月にディマ兄と会うことが出来て本当に嬉しかったです。彼はあちこちで私たちの通訳をしてくださいましたが、彼自身も彼のお母さんも健康が大部回復していました。
ようやく、今年7月にはディマ兄はニュージーランドに来れる見通しです。彼はすでにパスポートを獲得しており、現在私たちは彼のビザ申請に向けて働きかけているところです。
フェイス聖書学校から奨学金をもらえることになりましたが、飛行機代とNZ滞在中の生活費がまだ必要です。どうぞ必要が渡航前に満たされるようお祈りください。
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ホームページ更新
FIAのホームページを更新しました。FIAのこれまでの歩みや生徒、スタッフの証しなどもあります。オンラインでの献金もドル・円どちらでもできるようになりました。
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